2006年01月12日

味道探求の名著

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 連休、松竹座へ歌舞伎を見に行った。メインは仁左衛門・玉三郎の「十六夜清心」。悪かろうはずもないが、大阪の地ですっきりとした江戸前の芝居をいまだ正月気分で楽しむ。で、帰りはいつものように千日前の古本屋(天地書房)に寄ったのだが、ここで思いがけない本を見つけた。川口昇『味道探求名著選集 第6巻・うなぎ風物誌』(東京書房社、1980年)である。著者は日本橋の鰻屋で生まれ育ったということで、ウナギに対する薀蓄と愛にあふれた好著である。
 これをつらつら眺めていると、なかなか面白いことが書いてある。私が生まれ育ったのは深川の砂町の近くで、芝居でいうなら「東海道四谷怪談」に出てくる隠亡堀のあたりであるが、そばに小名木川(おなぎがわ)という川が流れている。私はかねてからこれは「うなぎ川」が転訛したものではないかと考えていたが、傍証が得られなかった。ところがこの本によると、1679年の延宝図に「鰻沢」とはっきり記載されているそうだ。
 周知のように、「四谷怪談」隠亡堀の場には、鰻掻きを生業とする直助権兵衛という人物が出てくるのだが、この場面に「首がとんでも動いてみせるわ」という伊右衛門の有名な台詞がある。この台詞自体は南北の原作にはなく大阪の上演本「いろは仮名四谷怪談」からの借用であるが、「首がとんでも動く」というのはウナギからの連想ではないか(!)と著者は言う。実際、ウナギは頭を切り落としてもしばらくはピクピク動いているらしい。直接見たことはないのだが、むかし見たフォルカー・シュレンドルフ監督の「ブリキの太鼓」という映画の中に、そういうグロテスクなシーンがあったように記憶している。
 さらに、芝居に出てくるウナギといえば、岡本綺堂に「城山の月」という作品があるそうである。これは二代目市川左団次のために書き下ろされたものだが(大正11年、明治座で初演)、左団次演じるのが大のウナギ好きの西郷隆盛、という設定である。序幕は鹿児島六日町の鰻屋の店先。本書から引用しよう。
 「この場は戦にやぶれた西郷一党が鹿児島落ちしていよいよこの町に帰ってくるというので、日頃からひいきになっていた鰻屋一家が、ありったけの鰻を焼いて一行に食べさせたいと、調理場では間に合わぬのでまな板や庖丁を店の外へ持出して鰻を割こうとする。出前持ちが鰻ざるを抱えて出てきたとたん、小銃の音に思はず持っている笊を取落とし舞台に鰻が散乱、それを拾いあつめるというそれまでの緊張をほごす幕切れで、鰻を舞台で大胆に技巧的に使っていることではめずらしい場面である。」
 なんともワクワクする場面ではないか。ぜひ見てみたいものである。
posted by unagi at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ウナギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月06日

曽我梅菊念力弦

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 正月なので3日間だけ東京へ行った。むかしは毎月必ず、東京へ歌舞伎を見るために出かけたものだが、最近は舞台を見るより江戸時代の台本や評判記を読むほうが楽しいので、毎月は行かない。今回も通例どおりお金のかからない手段での往復。
 洋行帰りの旧友と5年ぶりに浅草で会った。独文出身のくせに今はパリ大学で哲学を専攻しているらしい。いつものように場外馬券場横の「三ちゃん」で昼間から飲んだくれ、ついでに浅草寺へお参りに行った。初詣客のすさまじい雑踏に揉まれながら、頭上を飛んでくるお賽銭や落ちている小銭を一生懸命に拾った。おみくじを引いたら「末吉」と出た。あとはよく覚えていないが「蛇骨湯」に入ったり、山谷で焚き火にあたったりしたような気がする。
 翌日は歌舞伎座に藤十郎の襲名を見に行く。こってりした「先代萩」を堪能。さらに翌日(つまり昨日だ)、国立劇場で「曽我梅菊念力弦」を見る。ちなみに「そがきょうだいおもいのはりゆみ」と読む。鶴屋南北作の復活狂言で、例によって筋がとんでもなくマニエリスティック。しかし台本の面白さに比べたら芝居は退屈。(冒頭、梶原源太景季が零落して女郎屋の客引きをしている、という設定のバカバカしさ!!)
 ともあれ南座の顔見世から2ヶ月続けて芝雀丈を見られたことに満足しつつ、ひさしぶりに渋谷へ出た。ハチ公にお参りしてから、シアターコクーンで野田秀樹が「贋作・罪と罰」をやっていたので、フラっと立見席を買う。見終わって、時代が変わったのにここだけは何も変わっていない、という不思議な違和感だけが残った。
posted by unagi at 23:55| Comment(3) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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