
フランス関係では、「ベルクソン発言」もつとに有名である。2005年11月、紀宮の結婚披露宴に出席した石原慎太郎は(新郎がたまたま東京都の職員だったため)、天皇夫妻の臨席するその席で、次のような乾杯のスピーチを述べたという。
「フランスの哲学者のベルグソンであったと思いますが、神さま仏様を信じる信仰と、結婚というのは非常に本質的に似ている。その本質の原理は『一種の賭け』だということを書いておりました。(……)そういう素晴らしいお二人の賭けの配当に、私たちだけでなく都民、国民がご相伴にあずかれることを祈念します。」
この発言は、日本のベルクソン研究者たちの間に、深い驚きと困惑をもたらした。誰もそんな言葉を知らなかったからである。当時の日刊スポーツを引用してみる。
「『ベルクソンとカントの社会論』(近代文芸社)の著者、筒井文隆東京学芸大名誉教授(西洋近現代哲学=65)は「私の記憶の限りではそのような言葉はありません。ベルグソンに人間同士の問題である結婚と、信仰とを同列に見るという考えはなかったと思います。『信仰とは賭けである』とはパスカルの言葉だと思うのですが……」。ベルグソンの著作『物質と記憶』の訳者・田島節夫(さだお)氏(80)も「そのようなベルグソンの言葉は聞いたことがない」と話している。」
そもそも「結婚は賭け」などという紋切型を、堂々と人前で述べてしまうことすら恥ずかしいが、それにありもしない出典まで捏造して箔をつけている。要するに、この男は何から何までデタラメなのである。石原はその後、この件を定例会見でつっこまれて逆ギレしていたが、そのやり取りには石原慎太郎という人物の人間性がよく出ているので、以下に全文引用しておく。
2005年11月18日 石原都知事定例記者会見
【記者】あともう一つ、先日、黒田さんと、今は黒田清子さんになられた紀宮様の結婚式に出られて、かなりほのぼのとした披露宴だったと思いますけれども、その中で、知事、すいません、フランスのベルグソン……。
【知事】ああ、なんか日刊スポーツに出てたね。記事のためにするみたいな記事でね。だから私、確かじゃないから、だろうと思いますって言ったんだけど、パスカルなの?
【記者】いや、すいません。それは私もよく。
【知事】それなら、パスカルにこういう文書があるって言ってくれよ、そんなもん。メディアの程度の低さを示すような記事じゃないか。
【記者】ちなみに知事は定かでないとおっしゃいましたけれども、どっかでやっぱりベルグソンだっていうふうに。
【知事】多分ベルグソンの雑文の中で読んだような気がするんですよ。有名な論文の中の文章じゃないからね。例えば、『純粋理性批判』とか『宗教問題の諸相』とか(※)、その他この他、私が愛読した本とは違って、ざっと読んだものの、ベルグソンだったかなってんで私は言ったんで。
(※いずれもベルクソンの著書のタイトルとしては存在せず。『純粋理性批判』はカントの著作)
【記者】分かりました。すいません。
【知事】だから反論するんなら反論して。ここにいるのか、日刊スポーツ。手を挙げて出てこいよ。お前ら、人に下らん記事を書くんなら、パスカルかどうかってのを調べてこいよ。それがメディアの責任ってもんだろ。どうなんだい。
【記者】そういう声が上がってるということを……。
【知事】声があがってるって、論拠を示してくれ、論拠を。ベルグソンなんてあんまり人が読まないからね。パスカルだって読まないんだろうけど。論拠を示すっていうのがメディアじゃないの、あなた。揚げ足取りみたいな、こんな下らん記事を作るなよ、お前。新聞の品格にかかわるぞ。バカじゃないかと思うよ、こういうのを見ると、本当に。安っぽい新聞だな。
(引用終わり、続く)
posted by unagi at 08:58|
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