2007年03月11日

東京都知事選・4

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 都立高校で必修化される「奉仕」科目について、具体的な各校の授業計画を見てみる。ざっと見渡したところでは「地域の清掃活動」や「高齢者福祉施設との交流」などが主で、ほかに「絵本の読み聞かせ、手作りの人形劇や紙芝居」「水泳指導の手伝い」「救急救命体験」「点字学習」「防犯パトロール」「パソコンボランティア活動」「リサイクル啓発パンフレット作成」「駅前駐輪場の整頓」「地方情報紙の発行」「交通安全マスコットの作成」「花いっぱい運動」といったものがある。中には、「使用済み切手整理」「マナー講習」「清掃工場ゴミ処理施設の見学」といった、どこが奉仕活動なのかよく分からないものもある。

 目を引くのは「東京マラソンでのボランティア」である。東京マラソンとは、先日、石原慎太郎が自らの露骨な人気取りのために行ったイベントで、真冬の冷たい雨の中、3万人のランナーを罰ゲームのように走らせ、なおかつ都内の交通を完全に麻痺させたというワンマンイベントの手伝いをさせるものである(どうやら来年もやるつもりらしい)。

 ボランティアが強制されたらそれはただの「勤労奉仕」にすぎない。いわば体のいい「タダ働き」である。単位と引き換えに不払い労働を強要するのは畜生にも劣る所業である。それでも、「ボランティアはいいことじゃないか」と言う方がいるかもしれない。しかし、ここで私がいつも思い出すのは池田浩士氏の発言である。以下、勤労奉仕とファシズムの関係について。

「池田 僕はナチスのことを勉強しているものですから、ボランティア制度というものがナチズム体制の中でどういう役割を果たしたか……つまり勤労奉仕制度があったわけです。「歓喜力行団」と日本では訳されていたんですが、「喜びを通じて力を蓄える」という意味で、レジャーのための全国組織があった反面で、それとセットになって「帝国勤労奉仕法」という法律に基づく勤労奉仕制度がありました。これをそのままマネをして日本で「国民勤労報国隊」というのができたんですね。

――あれはドイツから直輸入したんですか? そのまま、意識的にですか?

池田 ええ。名称からしても、法律の内容から見てもそうです。もともとナチス・ドイツの勤労奉仕制度は、ナチス時代より前のドイツ社会でとても盛んだったボランティア活動の伝統があったからこそ出来たものでした。これをしっかり見ておく必要があると思います。それは、だからボランティアはだめだ、と言うのではなく、何が大切かということを考えるため、とでも言うのでしょうか。

 つまり、誰でも一人で生きているのではなく、誰かと一緒に生きたいとか、誰かの力になれるような生き方をしたいっていうのは、とても大事なことだと思うんですね。で、ナチズムをはじめとするファシズム、天皇制ファシズムもそうですが、人間の一番大切な「心の問題」を吸い上げていく。慰霊もそうですね。靖国神社でも。ナチのドイツでも死んでしまった人を絶えず追憶するということをキャンペーンとしてやっているんですね。慰霊というのはファシズムにとって非常に大切な儀式なんです。

 宗教に全く関わらない人間でも、今、自分がここに生きているのは、あの死んだ人たちがいるからだとか、誰でも大事な人を失った人であれば、必ず感じることですよね。「今、絶対あの人が見ている」とか、「一緒に生きているんだ」というようなことですね。そういう思いを慰霊という形で全部吸い上げていく、ということです。このようなファシズムの全システムの中の一つとして勤労奉仕もあったわけです。ボランティア(精神)の一番大事なところが全部取られてしまうということ。そういう人間の、ひとりひとりの思いというものが<制度>として形を与えられ、モデル・模範にされていく、と言いますか。」

(引用終わり、続く)
posted by unagi at 02:44| Comment(5) | TrackBack(1) | 都知事選 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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