2007年04月10日

東京都知事選・17

asano_shiro.jpg 「浅野史郎」と「佐野史郎」は似ているなどと世上よく言われるが、この名前を聞いて、映画マニアがすぐに連想するのは「浅野四郎」のことである。浅野四郎は、1899年に日本で初めて映画(「芸者の手踊り」なる短編ドキュメンタリー)を撮った人物として、映画史上に記憶されている。他にも「化け地蔵」「死人の蘇生」などといった、題名を聞いただけでもワクワクするような映画を撮っていたらしいが、すべて残念ながら私は見たことがない(というか現存しない)。

 それはさておき、浅野史郎である。私のまわりは基本的に反石原の人間ばかりなので、「(東京では)どうして石原があれほど支持されるのか?」という疑問の声がひじょうに多かった(今日までに10人以上に訊かれた)。「石原を倒せるのは田中康夫だけ」と個人的にはずっと思い続けてきたが、現在言われているように、対抗馬としての浅野史郎にそれほど魅力がなかったとは私は思わない。やはり今回は、選挙戦術のマズさが決定的だった、と思う。

 石原慎太郎の人気を支えているのは、まず何よりも「決断力」「行動力」「国に対してはっきり物を言う」などのイメージであり、これは要するに、かつての“小泉人気”と全く同質のものである。それに対して浅野は、民主党との関係が不透明だったこと、「オリンピック」「築地」に対して曖昧な態度を示したこと等々によって、「優柔不断な浅野」というイメージが完全にできあがってしまった。「立ち止まって考える」という姿勢が完全に裏目に出てしまった。ワンフレーズ・ポリティクスが流行りの当節では、「分かりやすさ」こそが至上の価値とされるのだろう。

 ともあれ教訓として、「分かりやすさ」は選挙戦術として極めて重要。しかし同時にまた、ここには危険も含まれている。それによって切り捨てられてしまうものも、たくさんあるからだ。「うるさい、黙ってろ!当たり前の手順を踏んで、民主的にやるんだよ!物事は多数決なんだから!」と石原は言う。このような発言に激しく違和感を覚えるのは、そこに「対話」と「合意形成のプロセス」が全く存在しないからである。そのような態度を、断じて「民主的」とは言わない。(続く)
posted by unagi at 12:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 都知事選 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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