2005年09月11日

書生生活始まる

syosei.jpg
 哲学の道のすぐそばにある閑静な一軒家に住み始めた。某社会学者――私はその人のことをつねに先生と呼んでいる――の持ち家である。いろいろな成り行きから、ここの住みこみ書生としてとりあえずは住むことになったのである。そこで今日から備忘としてブログを書き始めることにする。
 二日酔いで起床の後(昨夜は部屋のお披露目会があった)、朝の法然院を散歩。昼から立川自衛隊監視テント村関係者との関西交流会、その後西部講堂の反戦ミュージック。折から降り出した雨で演奏は一時中止に。
 生活に必要な品が何もないのでいろいろ買い出しに行く。
 付近があまりに静かでかつ部屋があまりに広すぎるため、ひじょうに落ち着かない。
 人間が生活するには2畳でたくさん、というのがいしがき寮で学んだ大切なこと。
 家の隅を2畳で区切って自分の部屋にしようと思う。
 (写真は坪内逍遥自筆『当世書生気質』挿画)
posted by unagi at 02:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 広い部屋はうらやましいようで、使いにくいのでしょうね。うちは子供が増えるたびに、「書斎6畳」→「相部屋」→「リビング」→「和室の布団1枚」と、今では半畳ほどなりました。でもそのほうが安心して読書できるから不思議です。
 昔、今の社宅に引っ越した当初は、20畳のリビングに夫婦二人でスミッコの5畳にテレビ、チャブ台などを密集させてハムスターのように生活してましたから、基本的には貧乏性。日本人には箱庭のほうが知恵と工夫が使えて緻密な芸術が誕生し、アングロサクソンは風呂敷を設計する(地政学)ほうが得意ですから、これはDNAと思ってあきらめるんですなあ。

 「書生」カタギというには、歳が...。
Posted by 蓑田 植 at 2005年09月11日 19:09
吉田寮時代は相部屋相手と相談して、自室を水田にしたり石庭に改造したりして遊んでました。(北寮29・30号住人連合HP)おかげでいまだに「稲の部屋に住んでる方ですよね?」とか言われます。(おかげでそのときは2メートルの高さの本棚の上に寝てたんですよ。。。)退寮後の2年間は、D号館の真横に勝手に建設した、3畳の広さの掘っ立て小屋に住んでました。ここはいまだに別宅として使ってます。これまで当局が何も言ってこないのは、さすが京大というか、何というか。
Posted by うなぎ at 2005年09月17日 20:47
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