
地下鉄で東大へ移動。途中、春日駅近くのアップルパイ屋(※写真2)に寄る。なかなか美味しい。

それにしても、ネグリの講演会をよりによって安田講堂という、まさに国民国家の象徴のような場所でやるのはどうなんだろうか?(どうせなら駒場の900番教室でやれば、三島vs東大全共闘みたいでカッコ良かったのに。京大ならもちろん西部講堂だ。)なんというか、ネグリを特権的な知識人に祭り上げようという強固な意志を感じ、なんともグロテスクな気持ち悪さを感じる。終了間際ちかく、遅れて会場に入ると、ネグリとなにやら電話回線で話している様子。会場は固唾を呑んで聞き入っている。ネグリへの質問があらかじめプリントで配られていたが、そのうちの上野千鶴子による質問「マルチチュードの実践は法を超えるというとき、その非合法の実践の中に「暴力」が含まれるというなら、それはいかなるもので、それを肯定するのはなぜか?」というのが興味深かった。(残念ながら、答えは噛み合っていなかったが。)

思えば、『現代思想』の「フランス暴動」特集で、「車を燃やすのはちょっとやりすぎじゃないのか?」とインタビュアーに問われた際、「この時代の流れを前にして、ちょっとばかり車が燃やされたからといってそれが何だというのでしょう。それに彼らが車を燃やしたのは、人々が路上に出て車を守らなかったからです」と平然と答えていたネグリが私は大好きだ。

壇上では、上野千鶴子が、おフランス思想の方々に「So what?」みたいな感じで挑発的にカラんでいた。あいかわらずである。終了直前に表へ出て、安田講堂前でキョートット出版のビラをせっせと配る。石垣で知り合った、かまいちさんに偶然、再会。そばでは芸大から来たハーメルンの笛吹き隊(※写真3)が、にぎやかに囃し立て始める。同時に、駒場寮の残党(?)――後に早稲田の花咲政之輔氏らと判明――が大音量のトラメガでアジり出す。なぜか綱引き大会も始まり(※写真4、かまいちさんの日記より借用)、興奮したキョートット出版の社長も歌い出して、現場は訳の分からないカーニバル状態に。上野千鶴子が出てきたので、キョートットの『Dearキクチさん、』を手渡す。

(※後日聞いた話だが、会場内部では、パネラーとして急遽登場した石田英敬に対して抗議のヤジが上がり、怒った姜尚中がトラメガを取り上げて叩きつけたらしい。この件に関する花咲氏とスガ秀実氏による声明が出されているが、私としては、おおむねこの声明に同意するものである。むろん、フーコー研究家でありながら駒場寮廃寮の先頭に立った石田英敬(まさにグロテスク!)は徹底的に糾弾されてしかるべきであるし、たぶん東大の先生方は、ネグリの言う特異性(シンギュラリティ)とか、共(コモン)とかに、まったく興味がなかったのだろう。ただし、抗議にはユーモアをもってするのが京都風のやり方だ。)

ハーメルンの笛吹き隊に引き連れられて、歌いながら芸大まで徒歩で移動。
芸大では、ネグリをつねに「さん」付けで呼んでいることに強い好感を持った(※写真5)。ネグリは私たちにとってかけがえのない年上の「友人」であり、決して特権的知識人などではない。これは正しいメッセージである。これまでの東大の重苦しい感じから急に離れて、にぎやかな学園祭のような雰囲気にホッとする。ウロウロと歩いていると、武盾一郎さん他による「沼美術館」に遭遇(※写真6)。誰でも描くことができ、どんどん絵柄が変わっていく、ワーク・イン・プログレスの作品だ。武さんの作ったドブロクやら、田中泯が漬けたという3年物の梅酒やらを飲みながら夜が更けていく。韓国のスクウォット集団「オアシス・プロジェクト」の人たちも合流。気分よく酔っ払って、池袋の友人宅に泊めてもらう。

3月30日(日) 早起きして、再び芸大へ。正午から「抵抗としての餅つき」が始まる(※写真7)。もしネグリが来日していたら、きっと餅をついていたのだろう。その姿を想像するとちょっと可笑しい。「反貧困フェスタ」にも飛び入りで挨拶する予定だったとか。

1時からは、田中泯による場踊り(※写真8)。背中に大きく「死」と染め抜いた着物で登場。芸大の正門前で、破れ傘を助六風に構えたかと思うと、やおらフンドシ姿に。ラジカセから流れる、ホセ・フェリシアーノの曲「Che sara'」に合わせて静かに踊り始める。すさまじい存在感だ。ホールで踊るよりもずっといい。圧倒的なパフォーマンスだった。

続いて、セッション「芸術とマルチチュード」。会場は芸大の巨大なデッサン室で、なかなかいい感じである(※写真9)。パネラーは宇野邦一、川俣正、高嶺格、田中泯。ここで話されたのは、要するに「外がない」という話で、工場が社会全体に広がった以上、カンヴァスの中に閉ざされた芸術は確保できない、生全体が芸術=闘争にならなければならない、というようなことだった。途中、田中泯が司会(廣瀬純)に「お前の話は分からねえんだよ」「誰でも分かる言葉で話せ」とカラんだりしたが、田中泯のような反時代的(反マルチチュード的?)な人物との話の噛み合わなさ具合が、それはそれで興味深かった。このセッションも途中で抜け出し、ジェロニモレーベルのライブを聴きに行く。

最後は、目玉企画。大ラウンド・テーブル「マルチチュードか、プレカリアートか?――この国の「路上」からトニ・ネグリを歓待する」。20人以上の有象無象が壇上に乗り、それぞれの報告を行う。まず、ガソリンスタンド・ユニオンからの「初めてのストライキ」報告があった。沖縄の高江からの、座り込みの報告があった。上野公園では「炊き出し」ではなく「共同炊事」を行っている、との報告があった。素人の乱やエノアールの報告もあった。足立正生は、生活保護を受けている(!)と語った。矢部史郎は「ネグリはもう卒業する」という欠席のコメントを寄せた。


みんながみんな結構、言いっ放しで、でも何か知らないけど、不思議なぐらい、とにかく楽しかった。マルチチュードって、こういうこと?なのだろうか。
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mixiのネグリコミュにしても書き込みないしどうしたらいいかな?
指名して映画オタクや読書マニアを引きずり出すとか?
マルチチュードのマルチチュードらしい部分がでた騒動だった、ということですね。
芸大にいた時に、「姜尚中が逆ギレ…」というヒソヒソ話を何度か耳にしていたので、何のことだろうと思っていたのですが、声明を読んで得心しました。問題は、姜尚中氏が、コンフリクトが存在するのに、それを「なかったこと」にしてしまおうとする権力を露骨に振るった点(むろんこれは声明の掲載を拒否した『情況』にも当てはまるものですが)と、もしもその場にネグリがいたなら、きっと彼は抗議者の言い分に耳を傾けたに違いない――と私は確信しているのですが――点にあると思います。論争が盛り上がるかどうかは分かりませんが、注視しています。
>mtnyさん
ありがとうございます。ネグリは「友人」である、という芸大のメッセージが私は好きです。マルチチュードというのが具体的にどういうものなのか私には分かりませんが、ひょっとしてあれがそうだったのかな?という気分にさせてくれた素敵なイベントでした。
拒否する理由がいまいちわからず。
>で、「車を燃やすのはちょっとやりすぎじゃな
>いのか?」とインタビュアーに問われた際、
>「この時代の流れを前にして、ちょっとばかり車
>が燃やされたからといってそれが何だというの
>でしょう。それに彼らが車を燃やしたのは、
>人々が路上に出て車を守らなかったからです」と
>平然と答えていたネグリが私は大好きだ。
こういう考え方を好ましく思っていると、自分の所有物が壊されても、文句が言えなくなりますよ。
そうですね。いまだに良く分かりませんね。
>山田隆太さん
そうかもしれませんね。