2008年01月08日

まぼろしの鰻屋

funasue1.jpg funasue2.jpg funasue3.jpg

 昨年末、先達に連れられて、まぼろしの鰻屋「鮒末」へ行った。なぜ“まぼろし”かというと、そこは毎月21日しかやっていないからである。東寺の東門を少し上がったところにあって、「弘法さん」に合わせて店を開くのだ。
 2007年、私にとって最も印象深かったウナギとの出会いである。

posted by unagi at 16:55| Comment(2) | TrackBack(0) | ウナギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月30日

参院選とウナギ

unagi_matsuoka.jpg 参院選まであと1ヵ月。「国民年金問題」と並んで、もっか火急の対策を要する「ウナギ問題」についての議論がなおざりにされている。しかしどの政党の選挙公約を見ても、ウナギの「ウ」の字も出てこないのはどういうことか。野党各党は「年金」と「ウナギ」の2本立てで、この選挙を戦うべきだろう。

 ウナギの将来について、悲観的なニュースが相次いでいる。ウナギ情報が詳しい「うなぎネット」を見ていても、最近では、欧州産シラスウナギの輸出制限、それに中国産ウナギから抗菌剤マラカイトグリーンが検出された件など、ウナギをめぐる環境は悪化の一途をたどっている。国民の大きな関心事である、この「ウナギ問題」の争点化を避ける政府与党に、われわれは怒りの声を上げなくてはならない。

 ※画像はウナギ養殖場を視察する故・松岡農水大臣。ちなみに彼は「人相が悪くなるから」という理由で、つねに伊達メガネをかけていた。
posted by unagi at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ウナギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月07日

神聖なるウナギ

unagi_logo2.jpg
以下、前掲『ウナギのふしぎ』より引用

(……)タラゴナの北150キロほどのところに、ギリシア人が植民地を築いていたのだが、そのギリシア人こそ、ウナギをこよなく愛したことで知られているのだ。紀元前4世紀のはじめに活躍したギリシアの喜劇詩人、ピレタエロスはこう書いている。「死を恐れよ――死んでしまえば、ウナギを食せなくなる」

 古代ギリシアで最高のウナギが捕れたのは、アテナイの北西にあたるボイオティア地方のコパイス湖である。この湖は、今から何世紀も前に水路がつくられて水が抜かれてしまったが、ギリシア時代にはボイオティア北部の広い範囲を覆い、そこに川が注いでいた。ボイオティア人は、ギリシア喜劇のなかでとかくアテナイ人と対照的な存在として扱われる。アテナイ人が、理性を重んじる洗練された人間とされるのに対し、ボイオティア人は無学で欲張りな野蛮人として描かれるのだ。それでも、アテナイ人がボイオティア人に喜んで金を、しかも法外なほどの金を出すものがひとつあった。コパイス湖のウナギである。なにしろ、アリストパネスの喜劇『女の平和』で主人公の女性が、ボイオティアもその住民もすべて滅びてしまえと願ったあとで、こうつけ加えているのだ。「ウナギ以外は」

 こんなギリシア人も、ウナギを敬う気持ちにかけてはエジプト人にかなわない。エジプト人はウナギをある種の神とみなしていたのである。紀元前5世紀なかばのギリシアの歴史家ヘロドトスは、ナイル川ではウナギが神聖なものとされていると記している。『三銃士』を書いたアレクサンドル・デュマは、フランス食文化の歴史に造詣が深いことでも知られるが、その著書『デュマの大料理事典』によると、エジプトにはウナギを神として礼拝するグループがあった。信者はウナギを池に住まわせ、毎日チーズと動物の臓物を食べさせていたという。

 ギリシアの喜劇作家アンティパネスは紀元前350年頃、ギリシア人はギリシア人なりのやり方で、崇めたてまつるより大きな敬意をウナギに払っていると指摘している。「エジプト人がウナギを神々に比したことを、彼らの賢明さとみる向きもある。だが、わがほうではウナギが神々よりも尊ばれ、はるかに重きをなしている。神々であれば、二言三言祈りをつぶやけば機嫌をとることができよう。ところがアテナイでは、ウナギのにおいをかぐためだけにでも銀貨一二枚は支払わねばならないのだ!」
(続く)
posted by unagi at 21:06| Comment(2) | TrackBack(0) | ウナギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

ウナギのふしぎ

unagi_no_fushigi.jpg
 昨年、ウナギ界で話題になった本がある。リチャード・シュヴァイド著『ウナギのふしぎ――驚き!世界の鰻食文化』(梶山あゆみ訳、日本経済新聞社、2005年)がそれである。原題は「Consider the Eel : A Natural and Gastronomic History」。私はこの本によって、蒙を啓かれること大であった。

 例えば、イタリアなどヨーロッパでは好んでウナギが食べられているが、これに対してアメリカ人は全くといって良いほどウナギを食べないらしい。(というか蛇蝎のように嫌悪しているとか。)およそ理解できない事柄であるが、だとするとブッシュがあれほど世界から嫌われるのも、きっとウナギを蔑ろにしているからに相違ない。なるほど、と得心がいった。

 またこの本では、ヨーロッパにおけるウナギ漁が盛んな地域として、スペインのバスク地方と、北アイルランド地方の二つが採り上げられているのだが、すぐに気がつくように、これらはETA(バスク祖国と自由)やIRA(アイルランド共和国軍)といった武装組織の本拠地なのである。実際、ウナギ漁に携わる漁師の中には、これら独立運動の支持者も数多くいるらしい。だとすれば、ここに「ウナギと革命」という実に魅惑的なテーマ設定が生まれてくるわけで、私は読んでいて興奮を抑えることができなかった。

 その他、この本の中には、せいぜい蒲焼き・白焼き・うざく…といったレシピしか知らないわれわれにとって、想像もできないほどバラエティ豊かなウナギ料理の数々が紹介されている。ウナギの知られざる生態や、あるいは含蓄に富んだウナギ語録――それはまた機会を改めて紹介しよう――など、いやはや、これは江湖のウナギファンを唸らせる好著である。
posted by unagi at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ウナギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

産卵場所が特定

edo_unagi.jpg
 先ほど立ち読みした週刊文春によると、荒川静香は決勝前日に日本料理屋で50cmもある鰻を1匹まるまる食べたそうだ。これで思いがけぬ金メダルにも深く得心がいったというものである。何事にもウナギを軽んじていては、いい結果など出せるはずがない。

 やや旧聞に属するが、東大の海洋研究所がウナギの産卵場所を発見した、というニュースもあった。周知のように、これまでウナギが産卵する正確な場所については謎に包まれていた。素人考えでは、産卵するウナギに発信機でもとり付けておけば良いような気もするが、あの通り体がヌルヌルしているので発信機を取り付ける場所がないのだという。で、このたび海洋研が漁船で孵化直後の稚魚を捕獲するという方法で、産卵場所をマリアナ諸島沖の海山であることを特定したという。ウナギ界にとってひさびさの明るいニュースである。

 しかしながら、「産卵場所が不明」という事実こそが、ウナギの汲めども尽きせぬミステリーの淵源となっていたこともまた否定できない。関係者はウナギの完全養殖への期待を語っているが、仮に養殖が成功したとして、1匹100円とか50円とかでスーパーの店頭で投げ売りされているウナギの姿を想像するのは、ファンとしておよそ忍び難いものがある。ふだん1000円や2000円で売られているのを見て、とても手の届かぬものと深くため息をついて諦めるからこそ、鰻を食べられたときの悦びもまた限りなく大きなものなのである。

 ウナギは高価だからこそ、生態が明らかでないからこそ、人々のファンタジーをはげしく掻き立てる欲望装置として機能している。ありふれた大衆魚になってしまったら誰もウナギを「信仰」したりなどしないであろう。したがって今回の産卵地特定のニュースには、これを手放しで喜ぶ気にはなれず、むしろ否定的にならざるを得ないのである。(写真は東京都交通局の鰻のポスター)
posted by unagi at 22:53| Comment(2) | TrackBack(0) | ウナギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

味道探求の名著

fubutushi.jpg
 連休、松竹座へ歌舞伎を見に行った。メインは仁左衛門・玉三郎の「十六夜清心」。悪かろうはずもないが、大阪の地ですっきりとした江戸前の芝居をいまだ正月気分で楽しむ。で、帰りはいつものように千日前の古本屋(天地書房)に寄ったのだが、ここで思いがけない本を見つけた。川口昇『味道探求名著選集 第6巻・うなぎ風物誌』(東京書房社、1980年)である。著者は日本橋の鰻屋で生まれ育ったということで、ウナギに対する薀蓄と愛にあふれた好著である。
 これをつらつら眺めていると、なかなか面白いことが書いてある。私が生まれ育ったのは深川の砂町の近くで、芝居でいうなら「東海道四谷怪談」に出てくる隠亡堀のあたりであるが、そばに小名木川(おなぎがわ)という川が流れている。私はかねてからこれは「うなぎ川」が転訛したものではないかと考えていたが、傍証が得られなかった。ところがこの本によると、1679年の延宝図に「鰻沢」とはっきり記載されているそうだ。
 周知のように、「四谷怪談」隠亡堀の場には、鰻掻きを生業とする直助権兵衛という人物が出てくるのだが、この場面に「首がとんでも動いてみせるわ」という伊右衛門の有名な台詞がある。この台詞自体は南北の原作にはなく大阪の上演本「いろは仮名四谷怪談」からの借用であるが、「首がとんでも動く」というのはウナギからの連想ではないか(!)と著者は言う。実際、ウナギは頭を切り落としてもしばらくはピクピク動いているらしい。直接見たことはないのだが、むかし見たフォルカー・シュレンドルフ監督の「ブリキの太鼓」という映画の中に、そういうグロテスクなシーンがあったように記憶している。
 さらに、芝居に出てくるウナギといえば、岡本綺堂に「城山の月」という作品があるそうである。これは二代目市川左団次のために書き下ろされたものだが(大正11年、明治座で初演)、左団次演じるのが大のウナギ好きの西郷隆盛、という設定である。序幕は鹿児島六日町の鰻屋の店先。本書から引用しよう。
 「この場は戦にやぶれた西郷一党が鹿児島落ちしていよいよこの町に帰ってくるというので、日頃からひいきになっていた鰻屋一家が、ありったけの鰻を焼いて一行に食べさせたいと、調理場では間に合わぬのでまな板や庖丁を店の外へ持出して鰻を割こうとする。出前持ちが鰻ざるを抱えて出てきたとたん、小銃の音に思はず持っている笊を取落とし舞台に鰻が散乱、それを拾いあつめるというそれまでの緊張をほごす幕切れで、鰻を舞台で大胆に技巧的に使っていることではめずらしい場面である。」
 なんともワクワクする場面ではないか。ぜひ見てみたいものである。
posted by unagi at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ウナギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月14日

きも吸いのこと

yomota_cover.jpgyomota.jpg
 真冬でもウナギを食べたいときはやはりウナギを食べたいのであって、そういうときは冷凍庫に常備してあるウナギの肝パックをおもむろに解凍する。思えば、ウナギよりも肝吸いのほうをより愛好していた時期がかなり長くあって、これも一種の倒錯と言えるのかもしれないが、まあ誰しもそんな青春の一ページがあるというものだ。実際、ウナギに肝吸いが伴わない世界などというものは、想像するだに恐ろしくかつ味気ないものである。
 ところで倒錯といえば、つい今しがたコタツで寝転がりながら読んでいた本の中にこんな一節があった。「『倒錯』というと話がオーバーになりますが、要するにたべものの好みって言えばいいんですよね。(……)つまり、僕は辛いものが好きだと、あるいはうなぎが好きで好きでしようがなくて、もううなぎのためには自分の政治的信条を犠牲にしてもいいとか、そういう話は現実にあり得る。」(四方田犬彦『週刊本10・映像要理』朝日出版社、1984年)
 私はハタと膝を打った。たしかに、これは充分にあり得る話である。私自身も、もし仮に誰かから「梅の井でウナ重をおごってやるから自民党に一票入れてくれ」と言われれば、ちょっと考えこんでしまう。そう、ウナ丼のためだったら小泉政権でも支持してしまいそうな、眩暈のするような不穏なシャルム(魔力)がウナギには、ある。これまでの長い人類の歴史のなかには、ウナギのために起こった数多くの殺人、戦争、テロリズムがあったのであろう。きっとそうにちがいない。
 不意に思いがけず「うなぎ」という文字を目にしたので、つい、ひとりで興奮してしまった。
posted by unagi at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ウナギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月16日

控訴審判決報告

unadon.jpg
 大阪高裁9月8日の判決は、予想されたとはいえ、やはり控訴棄却の判決だった。控訴趣意書を2日かけて45枚も書いたのだが、ほとんどスルーである。しかしまあ、そんなものであろう。判旨朗読が5分ほどで終了した後、土佐堀川に架かる橋の上で傍聴人交流会が開かれ、路上で酒を呑んで裁判所に向かってアジった。しかし一審の時ほど盛り上がりに欠けたのは、前回のような河内音頭大サウンドシステムがなかったからか。
 ところで、高裁の近くには「志津可」という老舗のうなぎ屋があるのだが、今回は傍聴人一同で「宇奈とと」という店に出かけた。驚くことに、大阪には(吉野家や松屋のような)うなぎ専門のチェーン店が存在するのである!!(うな丼500円、うな重700円、肝吸い100円!)味のほうはまったく保証しないが――ほんとうに中国産そのものの味がする――こんな店がある大阪の街の懐の深さに、いたく感動したのだった。
posted by unagi at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ウナギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。